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Vol.0180 「生活編」 〜真夏のクリスマス〜

「どこでも、いくらでもいいから。お願い、探して!」 私は受話器を握り締めて懇願していました。1989年12月。かなり最低だった年が終わろうとしていました。普段から忙しい広告代理店の年の瀬ですから、それこそ何がなんだかわからない状態でクリスマスセールだ年賀広告だと、いろいろなものに追いかけ回されていました。その中で、やっと手にしたクリスマス休暇。休日込みのたったの3泊4日でしたが、この喧騒を逃れるために是が非でも香港を脱出するつもりでいました。

旅行会社に「アジアならどこでもいいから。」と航空券の予約を頼んだものの、色良い返事がなく、催促を入れるもののどこも満席の空席待ち。「まさか香港残留組?同僚はカナダまで行くっていうのに?最低の年の最低のクリスマスか・・・」と、半ば諦めかけた出発の2日前。「シンガポールが取れたっ!」と夕方遅くに電話が入り、深夜発の早朝帰りという現地滞在時間が最も短い便にもかかわらず、脱出できる嬉しさに即、「YES!」 

問題はホテルです。さすがの旅行会社も「そこまでは勘弁して。会社のコネを使うか正規料金(つまり旅行会社に手数料が落ちない)じゃなきゃ部屋なんか出てこない」と、探すこと自体を断られてしまいました。インターネットなどあろうはずもない時代。すぐにシンガポールの親しくしていた取引先に電話を入れ、懇願するはめになりました。先方も「この時期に?」と絶句してましたが、翌日、「なんとか取れた」と電話をくれ、私は引きも切らない仕事の束を放り投げて夜行便に飛び乗りました。

日付が変わった深夜のホテル。「はい承っております。ジュニア・スイートのご予約でしたね?」と言われ、差し出された料金表を見ると1泊5万円以上!「確かに、いくらでもいいとは言ったけど・・」と思いつつも、あまりの疲労にそれ以上の思考が停止し、ともあれチェックイン。いくつあるのか、わからないほどたくさんの羽枕の間に埋まって、死んだように眠りました。

目を覚ますとクリスマス・イブでした。何も予定がないどころか、ここに私がいるのを知っているのは取引先だけ。しかも彼らとて休日。まったくすることがありませんでした。今までの張り詰めた毎日から一気に解き放たれ、呆けたようにまずはプールへ。満室の状況から察して、さぞや混んでいるんだろうと覚悟して行くと、なんと私を含め5組ほどしか人影がありませんでした。しかも、私以外は西洋人で、本を読むかサンデッキでまどろむか、影のように動かない人たちばかりで、泳いでいるのは私一人。

「こんなクリスマスもありなんだ〜」と、心からの開放感を味わいながら、私は子供の頃のことを思い出していました。小さい時、どちらかというとクリスマスは"苦手"でした。昭和一ケタ生まれの両親のもと、「暮れの忙しい時に何でこんなものが?」という濃厚な雰囲気のもと、毎年、早くも始まっている大掃除の合間に、ケーキ、母が焼いたトリのもも、お菓子が詰まったサンタの靴、プレゼントの本というお約束の4点セットが供されました。家族四人が揃ってテーブルにつき、「クリスマスおめでとう」という父の音頭で乾杯した後は、普段とまったく変わりなくNHKの7時のニュースを見ながらの夕食が始まります。

誰に見られているわけでもないのに子供ながらの狭量で、私にはこの過ごし方が身の置き場に困るほど気恥ずかしく、できることならごく普通の夕食の後に、さり気なく本でももらって済ませたいところでした。プレゼントにしたって、「今年も本でいいんだろう?」と、父に念を押されるままにうなずくばかりで、見立てる父の負担を考えると他の物を頼む気になどなれませんでした。ともあれ、子供の頃にクリスマスなど一度も祝ったことがない両親の、精一杯のもてなしを台なしにする気はなく、すべてを受け入れていました。

19歳で家を出たものの、当時はクリスマスだからと言って着飾ってパーティーをハシゴしたり、どこかの家で延々と続く飲み会に参加したりすることにはまったく興味がありませんでした。海外に出てからは、さすがにあちこち顔を出してはそれらしく過ごしていましたが、それとて必ずしもしっくり来るものではありませんでした。そして、迎えたシンガポールでの独りのクリスマス。

「いいじゃん、コレ!クリスマスが夏ってなんだかイイ。厚着したサンタがマヌケに見えるのもイイ。」 プールの水に寝転んで見上げた空は抜けるように青く、凝り固まったクリスマスのイメージに「ザマアミロ!」と言わんばかり。この明るさ!この眩しさ!子供の頃の思い出や山積みの仕事をスカッと吹っ飛ばしてくれる突き抜けた気分!その時以来、私の中に「クリスマスは夏に限る」という妙な思いが刷り込まれ、ヨーロッパのホワイト・クリスマスなどという正統派には、とんと興味が湧かなくなってしまいました。

ニュージーランドに移住したら、それこそもう毎年サマークリスマスです。今年はかなわなかったものの、来年こそはどこぞのプールサイドかビーチでバーベキューでもしながら、ビキニにシャンペンで祝いましょう。こうして、時には本人さえ持て余すほどの天性のあまのじゃくは、15年をかけて真夏のクリスマスを手に入れようとしています。

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「マヨネーズ」 あのシンガポール旅行の後、すぐに辞表を書いて仕事を辞め、3ヶ月後にはシンガポールに引越し、5ヶ月後には夫に出会い、8ヶ月後には結婚を決め、10ヶ月後には「完全週休二日」に惹かれて金融界に入りました。自分の運命が音を立てて変わっていくのに鳥肌が立つ日々でした。すべての起点はあの真夏のクリスマスだったのです。

西蘭みこと