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Vol.0187 「生活編」 〜神に出逢う時 その2〜

長男・温は12月に、ゲーム機「ゲームボーイ」のカセット状のゲームソフトの一つを失くしてしまい、途方に暮れていました。「全クリ(アー)したんだ〜。」と、遊び倒したことが自慢のカセットで、同じソフトを持つクラスメートが電話で問い合わせをしてきたり、泊まりがけでの攻略法の伝授を頼んできたりしていた、いわく付きのものでした。ただし、普段はその辺に出しっ放しになっており、特に大切にしていた訳でもありません。

「最近、家から持ち出してない。」ということだったので、「そのうち出てくるだろう。」と、私は放って置きました。本人が自分で見つけ、大切なものをぞんざいに扱った事を反省してくれればいいと思っていました。そのうち冬休みに入り、息子たちはオモチャ箱に別れを告げることに決め、すべての持ち物を洗いざらい点検しては、「残す」、「譲る」、「捨てる」の三つに仕分けしました。しかし、その時でさえカセットは出てきませんでした。

その後、年末の大掃除でリビングの棚、ピアノの上、電話の横、子供用のコーヒーテーブルなどちょっとした一角も片付けました。リビングの棚には鉛筆立てが4つ入っており、本来は鉛筆、サインペン、ボールペン、色鉛筆と、筆記具の種類ごとに分けてあったのですが、すっかりごちゃ混ぜになっていたため、善に再度分けてもらうことにしました。その際に私は空になった棚を雑巾がけし、仕分けが終わった鉛筆立てを元通りにしまいました。いずれにしても、カセットは見つかりません。6センチ×3センチくらいの小さなものとはいえ、どこにもないというのは妙でした。

年が明けて学校が始まると、宿題が再開しました。最初の宿題をもらってきた日、温が突然、「ママ、うちに勉強机ってある?」と言い出しました。「あるじゃない、あなたたちのお部屋に。あれがそうよ。誰も使わないから、ただの物載せ台になってるだけよ。」と言うと、「じゃ、使ってもいい?」と言って、さっさと机の上の物を片付け始めました。行ってみるとどこに収納したのか、山積みになっていたものがきれいさっぱりなくなっています。

片付け終わると今度は、「机の上って何、置くの?」と聞いてきたので、「電気スタンドとか鉛筆立てとか。鉛筆削りや辞書もかな?とにかくいつも使うものを置くのよ。」と教えると、さっそくその辺にある細々したものを集めてきて並べています。香港に小学校入学と同時に勉強机を買い与える日本のような習慣があるとも思えず、典型的な勉強机といっても温には「ドラえもん」に出てくるのび太の机くらいしか思い浮かばないはずです。それまで息子たちはずっと食卓で宿題をしていたので、温の思いつきは降って湧いたような話でした。

「どうしてそんな気になったの?」と聞くと、「ベンの家に遊びに行った時、新しい勉強机があってさ、それがすごくカッコよく見えたの。」と仲良しの同級生の名前を挙げて言いました。日本で言う小学校4年生、もうすぐ10歳の彼らが静かな環境で勉強したいと思うようになるのは自然なことかもしれません。「そうなの。いいじゃない。宿題がはかどるかもね。勉強したくなってきた?」と言うと、照れながらも「うん。」と、嬉しそうに答えました。

その朝、登校前の慌しい時間だというのに温は物置から埃を被った電気スタンドを探し出し、制服姿でせっせと水拭きしていました。帰って来たらそのまま机が使えるよう、仕上げに余念がありません。私は傍らで弁当の用意をしながら、「そうやってお掃除したり、お部屋をきれいにするといいことあるかもよ。ママ、そういうことを最近本で読んだの。何か願いをかなえたい時は、全然関係なくても良いことをしていると知らないうちに願いがかなったりするんだって。それにはお掃除とかがいいみたいよ。もちろん、"お掃除したからお願い聞いて"なんて思っちゃいけないんだけど、どこかつながってるらしいよ。」と言うと、温は「ふ〜ん。」と聞き流しつつ、スタンドをそれらしく置いて登校していきました。

学校から戻るや、机が使いたいばっかりにさっそく宿題に取りかかろうとした温は、ペンを探すためにリビングの棚を開け、ガタガタやっていました。すぐに、「あった〜〜!」と大声を出し、私と善のところまで走って来ました。得意げに開いた掌にはペンではなく、失くしたカセットがちょこんと載っています。驚いて「どこにあったの?」と聞くと、「鉛筆立ての後ろ。」との答え。今後は善と私がビックリ。だってあそこは二人で年末に片付けた場所。その同じ段の棚からその前に失くしていたものが出てくるとは・・・。

「ほらね、やっぱり神様っているんじゃない?」と、朝の会話を思い出しながら言ってみると、カセットを不思議そうに見ていた温がぱっと顔を上げました。その表情は輝くように明るく、満面の笑みを浮かべています。まさに会心の笑みです。心から納得したその笑顔を見て、私も思わず微笑みました。そして「通じたな。」と、確かな手応えを感じました。「参ったなぁ」と言わんばかりに首を振りつつ自分の部屋へ戻っていく温の後ろ姿を見送りながら、誰にともなく「ありがとう。」と心の中でつぶやいていました。(つづく)

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「マヨネーズ」 ヤンキースの松井秀喜選手は中学生の時から嘘をついたことがないそうです。それはきっと、本当のことでしょう。彼の今日の成功は、ご本人の並々ならぬ努力とともに、たゆまぬ善行で強運を引き寄せるからくりを十分理解していることの賜物のように思えます。もちろん、彼の人物像とあれだけの結果を考えると、そこには「これだけ良い事をしたのだから、これぐらいの業績は残せるだろう」などというチャチな計算がないのは言うまでもありません。結果を期待して何かをした段階で、そこにはもうよこしまな気持ちが入り込んでおり、期待が実を結ぶ可能性はかなり低くなってしまいます。神と"取引"することはできないのです。

西蘭みこと