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Vol.0196 「生活編」 〜Where We Were その4〜

今回の連載第1回目で「ラスト・サムライ」の簡単なストーリーをご紹介しましたが、佳境に入っていく中盤以降の部分をもう少し詳細に見てみたいと思います。"捕虜"となったオールグレン(トム・クルーズ)は冬の間、雪に閉ざされる山村で過ごさざるを得なくなります。合戦で深手を負った彼を"客人"として迎え入れるのは、勝元(渡辺謙)の実妹たか(こゆき)。オールグレンは合戦でたかの夫に殺されかかったものの危機一髪で逃れ、逆に彼を殺してしまいました。ですから、たかは憎んでも憎みきれない相手を家に招き、もてなすことになったのです。
<ニュージーランドに作られたサムライの村のセット。公式ホームページより>

傷の痛みと中毒だったアルコールが切れたことで幻覚症状に朦朧とするオールグレン。この数日のシーンは彼の意識がはっきりしないこともあり宗教儀式のようです。宗教の代わりに、彼は「武士道」という一つの精神に知らず知らずのうちに誘(いざな)われていくのです。インディアン討伐戦以来の心の傷と身体の傷でぼろぼろになった彼は、悪夢に苦しみ絶叫しつつも、しだいに過去と決別していきます。そんな傷ついた敵を、たかを始めとする勝元一族の人々は淡々と受け入れていくのです。

「夫を殺した相手に尽くすなんてあり得ない!」という反論が出てくるのは当然でしょう。しかし、映画は勝元家に生まれた侍の妻としてのたかをきっちりと描き、着物を着るのさえ不慣れだったというこゆきがそれにしっかりと応えたことで、この関係は確固たる説得力を得ました。「今ではあり得ないことが高い精神性を生きる彼らにはあり得たのだ」と、観る者は違和感なく受け入れたと思います。本心を置き去りにしたまま誠実に"客人"をもてなすたかの姿は、健気さなどとうに越えた気高さを漂わせています。個人の感情をはるかに凌駕する偉大なる精神の存在をスクリーンは雄弁に物語っています。

意識が戻ったオールグレンは自分が桃源郷の住人となったことを悟ります。だれもがお辞儀をし、会釈し、親切でありながら決して胸の内は明かさない、礼儀正しくも芯の強い人々。そこには彼自身が"I've never seen such discipline."と驚嘆するほど規律正しい、律儀な営みがありました。人々は朝早くから自分のすべきことに一日中精を出し、機を織り、刀を研ぎ、侍たちも腕を磨くことに余念がありません。オールグレンは近代化に背を向けたような山奥の暮らしに、戒律を守ろうとする高い意識とそれを成し遂げる中で得られる心の平安を見出します。それこそは彼の人生になかった崇高で穏やかな生き方だったのです。

そして、勝元との対面。二人はこの時初めて言葉を交わします。本当は村に着いた時点で、勝元から名前をたずねられていたのですが、オールグレンは頑として答えないまま意識を失ってしまいます。対面時、ちょうど読経していた勝元は、「この堂は我々の先祖が千年前に建てたものだ」と、自分たちの由来を端的に紹介しながら"My name is Katsumoto. What is your name?"とたずねてきます。(「侍が流暢な英語を話すなんてあり得ない!」と再び反論が出そうですが、私はある観点から二人の英語での会話を非常に意義深いものと感じています。しかし、この説明は長くなるので次回に譲ります)

勝元は敵であるオールグレンに対し、「武士道」にのっとった礼儀正しさで臨みます。「切り捨て御免」の無法者でもあった侍のイメージと比べた場合、この対応は意表をつくものですが、強い自負の顕れとも言えましょう。この出会いのシーンにおける、渡辺謙演じる勝元は惚れ惚れするほど堂に入った大人物で、頭領として民を率いてきた一族の自信と誇り、あらゆる所作から醸し出される知性と気品を余すところなく体現しています。(今の日本でこの手の人物を著名人から見出すとすれば一握りの企業トップや地方政治家ばかりで、中央の政治家ではほとんど見当たらないのは残念です)

再び名前をたずね「会話を楽しみたい」と申し出る勝元に、「英語を話したいがために生かしておくのか!」と声を荒げるオールグレンでしたが、勝元の徹底した紳士的態度に耳を傾け始めます。そして、会話を持つのは"We are both students of war"であるからと説明された時、彼の心が初めて動きます。命を賭して戦う者同士として、双方がお互いを認め合った瞬間です。心を開いたオールグレンが"Nathan Algren"と名乗るや否や、勝元は"I am honored to meet you."と一礼しました。この美しい振る舞いには息を呑みました。心身ともに傷だらけだったオールグレンが癒されていくのに時間はかかりませんでした。人間としての尊厳をもって扱われることが彼の頑なな心を氷解させたのです。

名場面に事欠かない映画ですが、この出会いのシーンは特に印象深い場面の一つです。敵対しながらも心動かされる何かを秘めた者同士が顔を合わせ、猜疑と緊張の中で相手への敬意を見出し、それを言葉や態度で示すことによって理解と信頼を芽生えさせていくのです。最後に勝元が示した礼をもって相手を尊ぶ姿は、出会いの一つの規範になりうることでしょう。双方が類まれに聡明で率直であれば、オールグレンと勝元のようにほんの数分でこの過程を駆け上がることができるのです。見知らぬ人への感動に敬意を払う勇気さえあれば、普段の生活の中でもこの二人を倣うことは可能でしょう。本当の人生とは、美しい出会いに溢れているものなのかもしれません。(つづく)

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「マヨネーズ」 言葉が遅かった善。今でもその後遺症(?)を引きずってます。先日も「ママ、"ナイトン・ゲイリー"って知ってるでしょう?」と言うので、どんな人物かさんざん聞き出し、やっと探り当てたのは"ナイチン・ゲール"。週末にラグビーの試合で出かけ、自分でも2トライとって意気揚々だったバンコクも、なぜか「ぼくたちバリ行ったんだよね♪」

西蘭みこと