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Vol.0200 「NZ・生活編」 〜感謝と感動の島〜

1984年3月。大学を卒業して一週間後。私は台湾の最大都市、台北の中山北路を一人で歩いていました。テラコッタ風のタイルを敷き詰めた歩道は、本来お洒落になるはずだったのでしょうが、品質、施工の悪さがたたってあちこちでタイルが欠け、時にはタイルを踏んだ瞬間ぐらりと傾き、下に溜まった泥水が隙間から噴き出して靴が汚れてしまうことさえあり、お洒落とは程遠い状態でした。空気もお世辞にも綺麗とは言えず、偽物「ベスパ」のスクーターがお尻をフリフリ、アヒルのようにけたたましく走り回る街でした。

当時の私はそんな街を世界中のどこよりも愛していました。今でも特別な場所であることに変わりありません。一時は大学を辞めてまで来てしまおうと思ったのですが、最終的に思い留まって卒業を待ち、晴れて片道切符でやってきました。「ずっと、好きなだけ、ここにいてもいいんだ。」と思うと、排気ガスの臭いがする空気を胸いっぱい吸い込みながら、思わず涙が溢れてきました。

1986年11月。スーツケースにバッグ一つを提げ、私は香港のカイタック空港に降り立ちました。「暑っ!」 日本の真冬並みに寒いパリから飛んで来た身には、ムッとする湿気といい、強い日差しといい、夏のように感じられました。当時の香港全体に充満していた今日を生き抜き、明日を鷲づかみにするエネルギーが、暑苦しさに拍車をかけていたのかもしれません。わずかなお金と物しかなかったにもかかわらず、「この街で何かやってやろう!」という想いだけは、溢れんばかりでした。

それから3年間、香港は私にとって生きるすべを教える人生の師でした。人の情けを知り、ユーモアを知り、その二つがあけ合った率直で温かい香港人らしい思いやりに、何度目頭を熱くしたことでしょう。子供や年下、収入の低い者、高齢者や社会的弱者に差し伸べられる手は、他人と必要以上にかかわらず、自分本位に生きることこそが大都会のルールと信じてきた身には、信じられないものでした。何の縁(ゆかり)もない個人が、ささやかな思いやりで網の目のようにつながっていくことができることを学びました。このしなやかさこそ、香港が国際競争の主戦場で生き残る大きなチカラになっていたのかもしれません。

1990年4月。再びスーツケースにバッグ一つで降り立った、赤道直下のシンガポール。ブーゲンビリアが咲き乱れる端正で美しい人工都市。広がる視界と足元から這い上ってくる南国らしい熱気に包まれながら、私はなんとも言えない解放感にひたっていました。「ゆっくり考えながら、のんびりやろう。」生き馬の目を抜く香港から来たせいか、視界に入るすべてが緩慢に、色彩豊かに見えました。「誰も私を知らない。」 この"明るい一人ぼっち"には、妙にホッとさせられました。

その後2ヵ月で夫と知り合い、その2ヵ月後には結婚を決めていました。彼が言い出した「いつか結婚しよう。」という言葉がとても新鮮で、「そっか、結婚だけはしたことなかったなぁ〜」と、それまでまったく無関心だった新生活に急に興味を覚えました。"いつか"がどんどん前倒しになり、翌年4月に入籍。その間に金融業界に入り、想像もしていなかった世界に飛び込みました。オフィスでは電話や取引、株式情報の執筆に追われ、しょっちゅう出張も入る慌しい毎日でしたが、充実した楽しい日々でもありました。

1993年6月。夫の転勤で再び香港へ。すぐに妊娠し、94年に長男、97年に次男出産。1回目の滞在で学んだありとあらゆる知識を総動員し、お手伝いさんも得たことで、太く、濃い、欲張りな生活が始まりました。したいことはあきらめず、欲しい物は手に入れ、行きたいところへは必ず行きました。引越しを繰り返し、クルマや家を買い替え、子供をインターナショナル・スクールに入れ、週末ともなれば夫と2人、気に入った店に繰り出しました。子供との時間をあきらめざるを得なかったものの、それ以外のことには一切我慢も妥協もしない、努力と自由と傲慢の毎日でした。

2004年×月。私達一家は期待に胸をふくらませ、オークランド空港に降り立ちます。2001年1月にこの街を車で流しながら、「ここに住みたい・・・」と思って以来、私の頭から「NZ」の頭文字が消えた日は一日としてなく、香港にいながら南半球を呼吸する日々でした。移住を決めて以降、価値観もライフスタイルも大きく変わり、仕事を辞め、お手伝いさんのいない身の丈に合う、こぢんまりとした生活を始めました。香港にあっても移住生活はすでにスタートしていたのです。

少なからぬ人から「何もない退屈な場所」と聞かされてきましたが、私にとってのNZは、生きていく上での機微が泉のように湧いてくる、豊かで、興味の尽きない場所。長旅の疲れも吹き飛ぶ爽やかな空気と大きな空。低い建物とどこまでも続く緑。少し行けばいきなり始まる濃い色の海。その上にたなびくリボンのような雲に迎えられながら、新しい人生に最初の一歩を踏み出します。天気がどんなでも気分は上々。今や不安も心配も、期待と喜びを際立たせる小道具のようです。まぶたの奥で光り輝いていた、「感謝」と「感動」の島。それはもう、夢ではないのです。

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「マヨネーズ」 「西蘭花通信」200号!書いている本人もビックリな数字です。継続はチカラなり! 1回分が約2,500文字、原稿用紙6枚分なので、計1,200枚分!!!これって本で言えばどれくらいの量なんでしょうね? ともあれ、すごい長さとなりました。いつも(時々でも!)読んでくださっている皆様に、心からお礼を申し上げます。今後も言いたい放題、テーマも容赦なく飛びまくるでしょうが、よろしくお願いします。

西蘭みこと