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「西蘭花通信」 Vol.0206  生活編 〜ペットプロジェクト その2〜  2004年3月28日


悪魔が戸口まで来た、震える夜が明けました。明け方に浅い眠りから覚めた私は、ふらふらとピッピの眠る部屋に行ってみました。そこには発病以来ピッピが愛用している、カバーのついたプラスチック容器でこしらえたベッドがあります。出入り口は20センチ四方ほどで、体力の落ちたピッピを少しでも温かくしようと周りを古いテーブルクロスやバスタオルでしっかり覆っているため、外からでは中の様子がわかりません。中も厚いクッションや古着のフリースを入れており、入り口も半分ほど埋まっています。

私は一瞬ためらいました。
「冷たくなっていたらどうしよう。」
と思いつつ、
「どっちにしても最初に見つけるのは私なんだから・・」
と、そっと手を差し入れました。毛皮に包まれたごつごつしたものに当たります。すっかり痩せてしまったピッピの背中です。

温かみはないものの、冷たくも硬くもありません。すぐにクッションに接しているお腹に手を差し込むと、かすかなぬくもりが伝わってきました。
「生きてる!」 
私はほっとして思わずしゃがみこみました。
生きてる。生きてる。生きてる。生きてる・・・・。
夜が明けたのに、まだ息がある。悪魔は家に入ることなく夜明け前に去っていったのです。東の空に立ち昇る一条の光のように希望の筋が見え、私は今度こそ深い眠りに落ちていきました。

しかし、ピッピは衰弱し切っていました。危篤と言ってもいいかもしれません。意識だけはしっかりしていて、つぶらな瞳には力こそないものの、わずかな輝きが残っていました。獣医に連れて行った方がいいのは明らかですが、あえてそうしませんでした。私は夫に、
「相当弱ってる。今までで一番悪いかも。」
と告げると、後は一人で黙々と看病を始めました。その日は土曜日。普段よりもたくさんの犬猫が出入りする狭いクリニックに、点滴のために何時間も置いておくにはピッピはあまりにも弱っていました。誰にも気づかれず、冷たいケージの中で最期を迎えさせるようなことは断じてできません。

「逝くんだったら、この腕の中から旅立たせてあげよう。」 
私は覚悟を決めました。1日の点滴分である300ccもの水分を口から補給できるはずはありませんが、とにかくやってみることにしました。ピッピは抱き上げると深く黒い瞳でじっと見上げています。一段と痩せてしまった以上に、重みがなくなっているようでした。それは体重の減少というよりも、生命の重みが弱くなっていることの反映のようでした。

さっそく私は夫が前日に行きつけの美容師さんからいただいてきた、アメリカ製のサプリメント「トランスファーファクター」を試すことにしました。これは乳牛の初乳とチキンから抽出される免疫に関する情報伝達物質で、免疫力を高めるためのものです。ここまでくると藁をもつかむ思いです。カプセルを開け、粉ミルク状のものを水で溶かし、スポイトであげてみました。慣れない味にすぐ吐くかと思いきや、ピッピは5cc全部を飲むと貪るような眠りに入っていきました。

しかし、その寝姿は何度見に行ってもドキリとさせられるほど見慣れないもので、ネコらしく丸くなってあごの下に足を挟むようなものではなく、時には背中を反らすほど伸び切り、時には横になったまま4本の足を投げ出すようにしていました。それでも約2時間おきに水分や流動食を与え、始めは嫌がる力もないのか大人しく飲み込んでいましたが、午後になると吐いたり、抵抗するようになりました。身体が食べ物を受け付けていないのは明らかです。

私はこみ上げそうになる涙と不安を抑えながら、今朝まだ息があるのを知った時の安堵を反芻しつつ、淡々と世話を続けました。食べさせる傍から吐いたものを片付け、次の食事のためにすり鉢でキャットフードをすり潰し、汚れたバスタオルを何枚も洗濯している時、
「こんなことを前にしてたことがある!」
と、ふと気づいたのです。そうです!子供が生まれた時は毎日がこの繰り返しでした。3時間授乳。吐いたあとの片付け。寝不足。献身・・・。

流動食は離乳食そのものですし、使っているすり鉢も当時のものです。食事の時にピッピを包んでいるバスタオルは子供のおくるみに使っていたもので、ガーゼの代わりにタオルを差し込み、哺乳瓶の代わりにスポイトを持ち、吐かないように飲み終わった後は立て抱きにして背中をさすり、重さも同じくらいなら、抱き方もほぼ一緒。どんな育児書にもある通り、食べさせる時は目をのぞき込み、時には語りかけ・・・。そして、すべての努力に十分報いる反応と歓び。2、3ヶ月は睡眠時間が5時間を越えることはなく、座った瞬間に眠ってしまうほど疲れていても、生活は楽しく、その存在は限りなくいとおしく・・・。

「これって同じ!育児と看病との違いはあっても同じこと!」 
そう思った瞬間、両肩から背中にかけてのしかかっていた重みが、すっと抜けていくようでした。
「大丈夫。私はやったことがある。子供がちゃんと育ったように、ピッピもちゃんと治る。」 
そう信じられた瞬間、私は突き抜けました。これからも何度も何度も不安が襲ってくるでしょうが、もう気持ちがぐらつくことはないでしょう。腹がすわりました。

「ピッピがどんなに辛いかママにはよくわかるよ。多分、ママが二番目に辛いからね。だから、どんなにがんばってくれているかも、よくわかるよ。ありがとう、ピッピ。」 
二回りぐらい小さくなったピッピを抱きながら、発病以来、一番穏やかな気持ちになっていました。
(つづく)

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「マヨネーズ」 
「トランスファーファクター」をあげたことが、実質的に私の中での化学療法への決別となりました。今後への覚悟ができ、私とピッピが今回の危機の峠を越えた瞬間だったと思っています。ご紹介下さった香港在住の美容師さん、沼口さんのお心遣いに心からお礼申し上げます。

西蘭みこと