Vol.0370  生活編 〜黄金のオーラに包まれて〜        2005年12月28日

「ジョセフのコールスロー」
「泉さんの千切りキャベツとモヤシ」
「ミッキーのローストチキン」

前夜の子どもラグビーの打ち上げパーティーに集まってくれた友人たちを思い浮かべながら、彼らが差し入れてくれたものを一つずつ鍋に入れていきます。スーパーのデリカテッセンのコールスローは、どう見てもキャベツの千切り。申し訳程度にビネガーベースのドレッシングがかかっていますが、子どもにはまったく不人気でした(笑)

「ありがとう、ジョセフ。子どもに野菜を食べさせるのには苦労するわよね。あなたの気持ちを大切にするわ。」
鍋の中に沈んでいくキャベツをかき混ぜながら、心の中で彼に語りかけていました。泉さんはおいしいお好み焼きを焼いてくれました。ブロック肉が普通のニュージーランドでは貴重な薄切り肉、肉厚のイカ、大きなエビと豪華な具に特製のタレ。とてもおいしい一品でした。キャベツとモヤシの残りもスープ鍋へ。

ミッキーが持ってきてくれたローストチキン。これもデリの品でしたが、焼き立てがおいしく、みんなでしっかり平らげました。離婚して遠くに住んでいるミッキーは週末だけ子どもに会いにオークランドにやって来ます。その貴重な時間を割いて、息子さんと一緒に参加してくれました。10時過ぎにお開きになった後、2時間以上かけて帰宅したはず。

「ミッキー、来てくれただけでも嬉しいのに、たくさんの手土産までありがとう。チキンは最後までおいしくいただくわ。少し残っていた肉はマヨネーズと粒からし和えにして、ローストチキンサンドになったし、骨だって・・・」
本来だったらそのままゴミ箱に行くはずですが、私は捨てません。中華スープを作る時の布袋に入れ、そのままスープ鍋へ。ローストした後でもいい出汁が出ます。

これに冷蔵庫にあったセロリ数本、トマト4、5個、千切りにした玉ねぎ1個、細切りのニンジン1本、刻んだベーコン数枚、丸のままのニンニク3、4個、小エビを加え、塩、コショウ、酒、ナンプラ、しょう油、チリペースト、酢、砂糖少々を入れて煮込み、最後に香付けのごま油をたらせば、アジア風スープの出来上がり♪ 西洋社会ではキャベツのスープなど、
「これでもキャベツのスープよりはまし。」
などと言われるように、最低に近い食べ物なんでしょうが、私にとっては友人の想いを煮込んだご馳走です。

酸味があって口あたりが良く、チリ風味が食欲をそそるスープは、子どもたちに大うけでした。4、5リットルが2日でなくなり、最後に少し残ったスープは漉した後、挽肉、小エビのみじん切り、ミソ、チリペースト、しょう油、砂糖、水溶き片栗粉を加えて見た目を一新、茹でたての麺にたっぷりかけてネギを散らせば一回分のランチに。骨は布袋から出し、ミッキーと食物として犠牲になってくれたトリに感謝しつつ、庭のアボカドの木の根元に埋めました。後に残ったのは温かい思い出と、スクスク伸びるアボカドの木ばかり。

Miminetあきこさんのサイト「オーラ日記&レイキ.フラワーエッセンス」で、オーラの第7層、金色のオーラの存在を知った時、ふっと体の力が抜けるようでした。あきこさんはオーラを見ることができる特別な能力の持ち主で、その様子を非常にわかりやすく解説してくれています。私にはオーラなどまったく見えませんが、
「微妙な金色の網み目状のオーラ」
というものが、この上なく自分の心情にピタリと来ました。

ニュージーランドに来て以来、人はもちろん、動物、植物、血の通わない物、天体とですら、自分がしっかりつながっていることを、何度となく思い知らされる事象に出会い、
「まさか、まさか。」
と疑って否定するよりも、
「そうなんだ。きっとこうなんだ。」
と観念して受け入れてしまう方が、
「よほどすんなりいく。」 ]
と思うようになりました。そんな折に黄金のオーラの存在を知り、自分が感じるところを客観的に裏付けられたようで、「きっとこうなんだ」と自分に言い聞かせていた力が、ふっと抜けるようでした。

「宇宙の全てのものに、相関関係がある。」
「金色のオーラを見ると、自分の周りをとりまいてて、さらに部屋中にはりめぐらされています。」
「自分と世界はひとつなのだ。」
「自分の思ったことは実現する」
「心配すると、現実になる」
「何か思った時は自分の金色オーラにその司令をだしていて、世界中から、その状況を呼び寄せているのでしょうね。」
「金色のオーラは世界中にはりめぐっています」
「思いは届きます。」

まるで平原に降る清らかな雪のように、あきこさんの言葉が心の中に降り積もってきます。
「私にオーラが見えるかどうかは問題じゃない。見えなくてもその存在を信じられれば、同じことでは?幸い、見えないものを信じる勇気は持ち合わせてる。あとは実行あるのみ。」
すべてが一つにつながっているのであれば、自分と世界が一つならば、念じることがその状況を呼び寄せるならば、どう生きるかは自ずと決まってきそうです。自分を取り巻くすべて――家族やペット、友人はもちろん、動植物から物まで、すべてを慈しみ、分かち合い、その存在に感謝して生きる。自分の右手も友人も草木も、同じように大切なのです。

目を閉じれば網の目のように張り巡らされた、黄金に輝く光の筋を思い浮かべることができます。なんと美しく、温かなものでしょう。誰もひとりではなく、いつまでもどこまでも続いていく永遠。まるで希望そのものです。人生には耐え難いほど辛く悲しいことも起きますが、人はそれを乗り越えて生きていきます。生きるとはそんなにも前向きで、素晴らしいことなのです。

21世紀を生き抜くその日暮らしへの手応えを得た2005年に感謝しつつ、新しい年を迎えようと思います。ぜひみなさまにおかれましても、良いお年をお迎え下さい。どなたにも、どちらにあっても2006年が愛と平和に満ちた輝かしい年でありますように。

西蘭みこと